彼の話

141文字以上書きたいときに書きます

Q.最近何してんの? A.なんかようわからんけどオーラルにハマってる の話

 

相変わらずのタイトルで全部言うスタイル。
ご無沙汰しております。皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
最近気づいたんですけど、歳のわりに趣味やら精神やらが厨二というか、厨二がいつまで経っても治らないんですよ。厨二とモラトリアム大学生と高等遊民を掛け合わせたみたいなノリで生きてる(最悪)。いい加減地に足つけて所帯じみた生活になってもおかしくない年齢だと思うんですけどね。
一応働いてはいるんですけど、でもまあなんか座り心地の落ち着かないまま時間だけをつぎ込んでるみたいな感覚。とか言ってること自体がもうモラトリアムなんですよね。どこかにそういう仕事とそういう人生があると思ってる。まだ。
たぶん、本気と全力を費やして仕事に取り組んでいる、輝かしい(ように見える)仕事人たちを見過ぎてるんですよね。アイドルやら役者やらアーティストもそうだし、学生時代に見てた先輩とか講師とか何やらとか。人目につくのは表に出てきている成功者ばかりなので、当たり前ですけどね。
シンプルに言えばまあ転職したいなーというだけの話なんですが。
上司がコミュニケーションに難あり人間すぎて、本人はとても良いキャッチボールをやってるつもりなんだろうがお前それドッヂボールやで、みたいな。自信があるからタチが悪い。そしていざ自分が当てられたら痛い!て言うタイプだから尚更悪質です。わたしもまあこういう癖と難のある人間なんでアレですけど、マトモな人はマトモに当てられるばかりで辛いと思うんですよね。
付いて1、2ヶ月になる新人とこないだ初めてサシ飯行ったら(そのタイミングの遅さもどうなんだって感じだけど、忙しすぎたので許してほしい)、「(上司)さんとどう上手くコミュニケーションを取ったらいいか……ずっと訊きたかったんです……」て言われて普通にごめんなぁ〜〜〜という気持ちになった。どんな悩みだよ……あちらさんのコミュニケーションに難があるんですよ、あなたは大丈夫です、この上司と上手くやれなかったとしてもあなたは全く自信失わなくて良いと思うよ、て感じの、まあ良くできた新人さんなんだけど、この上司の下で長続きしても人生の浪費って感じだし、まさか引き留めるつもりもないし、どうしたもんかね。と思っている浪費4年目。
その辺は今回のブログにはあんま関係ないんですけど、まあ病んでるよ〜体調悪いよ〜て感じの近況として。閑話休題、最近のなんかめっちゃハマった話です。


THE ORAL CIGARETTES、以下オーラル。
たぶん最初にちゃんと聴いたのは映画「亜人」のテーマだった「BLACK MEMORY」だったと思います。
映画「亜人」は本当わたしの大好きな俳優大集合で、マジで未だになんであれがわたしのキャスティング以外で成立したのか分からないんですけど本気で。
わたしの人生で初めての"推し"は城田優で、その次に"この人も好き!"てなったのが綾野剛なんです。
しろたくんはドラマ「チーム・バチスタの栄光」の麻酔科医(連続殺人犯)役で、綾野さんは「クローズZEROⅡ」の鈴蘭が敵対する高校・鳳仙の狂戦士(と書いてバーサーカーと読む)、漆原役で好きになりました。今思えばどちらとも、死人みたいな白っぽい顔をしてて無口で、それでいて淡々と、何人も医療ミスに見せかけて殺したり、再起不能レベルにまでタコ殴りにしたり、っていうキャラクターでした。
もうね、最初からそういうのが好きなオタクなわけです。当時、ものすごく鮮烈に心惹かれたんですよね。マジで雷の落ちるような恋。
モラルのない事とか、バイオレンスな事とかって現実世界じゃ許されないので、あと死んだら全てが終わりだし。そういう本当は許されないことを、許されないことだからこそフィクションで思う存分楽しむのが良いんだよ、楽しませてくれよ、みたいな。そういうことを平気でやる見目麗しい男、最高。
フィクションを享受するってつまり現実からの逃避でもあるんですけど、でも逃避先があるって別に悪いことではないと思うんですよね。息抜き的な必要性もあるし、それに、現実世界ではなかなか体験しがたいことを擬似的にでも体験することで得られた感覚や思考や価値観も沢山あったし。そんなふうに、フィクションをフィクションとして、リアル(現実)ではない作られたフィクションであることを含めて愛したのも当時からです。
そんな個人的二大サイコパスであるしろたくんと綾野さんが同じ作品に、しかも同じ敵サイドで、しかも何回死んでも死なずに蘇るとかいうご褒美みたいな設定まで付いてきちゃって、もうバキバキに殺しにいったり、時に自分で"リセット"したり、並の人間には有り得ないようなバトルアクションを披露してくれるわけで。殺すことに一切の躊躇がないのがまた良いんですよ。溜めの演出は、殺してしまう、ついにやってしまう、というスリル感を生むんですけど、よくあるそれが無いことで、あっさりした味付けで、でもあっさりしていること自体からして恐ろしい、みたいな。殺すときに躊躇うのは素人のやることです。
もうめちゃくちゃ楽しかったし何度も劇場に行ったし、円盤でも未だに何度も見返してます。元気ない時とか、元気をもらえるので(?)。佐藤健vs綾野剛のアクションは「るろうに剣心」も良かったけどこれもめちゃくちゃ最高です。あと玉山鉄二山田裕貴も良い、そして千葉雄大が毒でかわいい。
映画として(って言い方はちょっとデカすぎますけど)優れてるかというとまあ微妙ですけど、あと原作ファンではないので映画化としてどうだったかもよく分かんないですけど、個人的にはキャスティングと芝居がめちゃくちゃ良くて、アクションシーンの作りもすごく良かった。
あと、具体的なグロがあんまりなくて、実は年齢制限が何も、PG12すら掛かってないんですよ。そのパッケージで世に出しながらあそこまでのハイスピード感というかバキッと際立った世界観を保てるのもすごいな〜って感じ。やろうと思えば血飛沫でも内臓でも断面図でも何でも撒き散らしながら、腕も足も何本でも欠損しながら、いくらでもグロくは出来るとも思うんですけど、あまりそういう見せ方のカットって無い。匂わせられてるから、嗅ぎつける想像力のある人にはグロさがわかる、って感じの演出が多いんです。メジャーの商業映画として、あくまでエンタメ作品の域に"留められている"というか。だって0歳から観られるんですよ。あんだけ殺し殺されていながら老若男女がライトに楽しめるエンターテイメントになってるんですよ。実際になっているかはさておき、形式的には。本当すごい。
以下オーラル、つってここまで亜人の話が長すぎてオーラルが一文字も登場しなかったことにお気づきでしょうか。映画「亜人」よかったらぜひご覧ください。最高に元気出るので。

これはなんていうかある種セラピー的な話でもあると思うんですけど、「君のその気持ちよく分かるよ」という受け入れられ方よりも「君はそういう時そう感じるんだね」って言われるだけのほうが、よほど受け入れられたような、認められたような気分がする時があります。寄り添い方が違うだけで、寄り添おうとしてくれる気持ちに変わりはないんですけどね。でもその違いが大きい。
わたしは基本、自分以外のことを他人だと思っているタイプです。仮に愛し合う恋人だろうと血を分けた家族だろうと、根本的には、自分以外はすべて他人だと思っている。他人という言葉そのものがなんとなく突き放したような、冷たい印象を与えるかもしれないけど、べつに他人=嫌い、興味がない、関わりたくない、知らない、とかではない。"わたしではない"という事実だけ。(いや、興味がない、関わりたくない場合も多々ありますが……)
ある意味では自己肯定感が高いんだろうなとも思います。わたしはわたしであって、他の誰でもない。だから、わたしのことは厳密に言えばわたしにしか分からないし分かり得ない、なので「あなたのこと分かるよ」という一歩踏み込んでくる同意よりも「あなたはそうなんだね」という受容のほうが、抵抗なくハマるんだと思います。
それと同時に、他人と関わらなければ生きていくことはできない、とも思っています。
それは何も即物的な、日常生活とか収入だとかそういう次元の話だけでなくて、社会というのは大きなネットワークのようだけどよく見れば一人と一人の極めて小さな関わりが無数に連なって成り立っているものだし、さらにもっと観念的なところで言えば、わたしが生きていることをわたしは証明できないんですよ。存在することは知覚されること、というか。まあそもそも「証明」自体、他人がいないとできないものだし……そしてこんなブログ書いてる時点で…………
何の話?
まあそういう観念でもって、他人との接触に摩耗しながら社会の中で日々細々と生きているという話なんですけど……(鬱なの?)
あとは、人が嫌いだけど人が好き、みたいなフシもありますね。でもまあ舞台にしろ映画にしろ音楽にしろ創作物が好きな時点でもう大前提そうですよね。どんな作品にせよ根本的には人の感情や人の営みというものを描いているし、人の感性でもって作られたものであるし。で、それを観てわたしという人間の感性が構築・肉付けされていく。
あと、一人だけで作られる(ことの多い)たとえば小説とか絵画とかの芸術じゃなく、映画だとか舞台だとかの複合的な、いわゆる総合芸術が特に好きというのもあります。大勢の人が人と集って才能を注ぎ込みあって編み上げられた一個の作品が好き。この辺を話し始めると今回はマジで脱線がすごいのでやめときますけど……酔ったらだいたいこの辺の話になってしまいがち。

マジでオーラルの話しないまま4000字書いてるけど大丈夫そう?と言いつつ、ここまでの全部、フィクションだとか存在だとか他人との関わり合いだとか全部、思想的にはオーラル聴きながら刺激された部分の話なので、オーラルの話をしているといえばバリバリ話してるんですけど……

ちなみに、自己紹介みたいな音楽遍歴みたいな話をすると、去年一昨年くらいまでは、自担の影響とかその他諸々で、SixTONES以外では日本のHIPHOPと、あとテクノとかEDMとかアンビエントとか流してました。一時はNujabesをエンドレスで流してた時期とかもあったり、あと特に気に入って聴いてたのは(今でも時々聴きます)、舐達麻、ちゃんみな、BAD HOP、SKY-HI、Creepy Nuts、Nulbarich、Suchmos、SIRUP、iri、あとTravis scottとかJonas BlueとかZeddとか。
で、それよりもっと昔から辿っていくと、ジャニーズでは嵐とTOKIOばっかりで(むしろそれ以外全然聴いてこなかったので、未だに知らない定番ジャニーズソングとかあったりする)、J以外だとスキマスイッチ福山雅治平井堅秦基博Chara、ゆず、いきものがかり、あたりを聴いてて、その後高校生くらいでいわゆる邦ロックをかじり出して(当時かなり流行ってたと思う)、エルレアジカン、9mm、RIZEフジファブリック音速ラインサカナクションflumpool、アルカラ、RAD、レンジあたりを浅く緩く聴いてました。あと友達にバンギャが何人かいたのでラルクとかV系バンドとかもうっすらと聴いたり。
ちなみに、これ話また逸れるんですけど、実際の業界とか市場とかは分かってなくてただ体感の話ですけど、2010年代の前半というかざっくり2012年くらい?まで、邦ロックがめちゃくちゃ流行ってたというか、アイドルはノーカンとしてそれ以外で一番流行ってるジャンルだった気がするんですよ。同世代の流行りとか見ても、邦ロック好きってめっちゃ一般に当たり前に浸透してる感じというか、邦ロック好きが"オタク"とか"マニアック"とかじゃなくて、同級生全員おしゃかしゃま歌えたし。みたいな。いやそれは流石に盛ったけど、でも体感それくらいだったと思うんですよね。で、入れ替わりなのか分かんないけど、それまで傍流というか限られた人だけが聴いていたHIPHOPというかラップがかなりポピュラーな音楽になって、そっからあとはK-POPとかなのかなあ。とにかく、邦ロックがめちゃくちゃ一般的な音楽って位置付けじゃなくなったように感じてました。
そんな流れとは別ですがほとんど同時に、わたしは小劇場に傾倒していって、あとマンガとかソシャゲとかにも片足突っ込んでたので、音楽はなんとなくライトに聴く程度になって(サブスクとかも無かったからわざわざCD取り込まないといけないし)、その時期でも変わらず聴いてたのは結局スキマと秦基博くらいかなあ。
で、小劇場から足洗いながらSixTONESにハマって、それきっかけと、ついにサブスクという文明を得てHIPHOPテクノEDMアンビあたりをなんとなく聴くようになり、それから昨夏、7 MEN 侍にハマったことで約10年ぶりくらいにロックバンド熱が高まって、もう一度かじり始めるようになりました。ちなみにの自己紹介がクソ長い。(映画演劇だけじゃなく、音楽もわりと結構好きなことがわかってもらえれば嬉しい)

さて、オーラルは、去年の秋くらいにライブ映像を偶然見ることがあって、うわ〜〜ヤバめちゃくちゃカッコいい〜〜っ!て思って。
亜人の主題歌のバンドだってのは分かってたんだけど音源しか聴いたことがなかったので、うわライブだとこんなんなるんだ〜!って感じでブラメモ繰り返し見たりして。そのタイミングでは多分、ロン毛で全身真っ黒い感じでひょろっとした感じの背が高い男(この辺、昔からのフォロワーは読みながらあ〜〜ねって思ってくれるくらいのドンピシャのド趣味)が、なぜか裸足で髪振り乱しながらギャンギャンにギター掻き鳴らしてるのに見惚れてましたね。
でもとりあえずしばらくは、何度か映像見たり代表曲聴いたりする程度で、あんまりドハマりって感じでもなくて。それからはサブスクのライブラリに突っ込んどいて、まあ時々聴いたりするくらいだったんですけど、つい先月のことです。
手越祐也とオーラルがコラボしました、みたいなツイートが流れてきて。即聴いた。

え?良。
手越がバチクソ歌上手いってのはまあ常識的に普通に知ってたんですけど(ほとんど言ってないけど、わたし実はチャンカパーナ辺りで一瞬NEWSに片足を突っ込んでいて軽率にリリイベ?まで行っていたことがあり、謎)、いやゴリッゴリにうめえ。
3曲歌った中でも、特に「容姿端麗な嘘」がマジでエグい。

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曲調と手越のボーカルがバキバキにハマってて、NEWSではこういうロック系ってほとんどなかったと思うので見慣れてなくて新鮮ではあるんだけど、いやでも元からこういうスタイルの歌手だったよね?みたいなハマり具合で。腹から喉ガン開きのエグい声量とブレなさで、オーラルの曲なんだけど手越のボーカル、というカバー(コラボだけど)として最強の打点をブッ刺してて、ちょっと軽く震えました。もちろんカラオケじゃないし、単なるコピーでもない。原曲の良さを消すことなくドンピシャにハマってる。こんなん最強やん、と思って。
で、それで久々にパフォーマンス映像を見たんですよ、オーラルの。そしたら音源聴いてるだけよりももう断然、圧倒的に惹き込まれてしまって、ウワ〜〜〜!って勢いだけで再燃して滑り落ちて、楽曲片っ端から聴き直して。
そしたらなんか、これまでになくビタビタに刺さりまくったんですよね。
ここでようやく冒頭の話に戻るんですけど、ちょうどダウナーな時期で、ストレスやら何やらが溜まってたみたいで、その状態にオーラルのこのサウンドと歌詞と世界観とがドハマりして。こういう感じの楽曲がそばにあることが嬉しかったし、こんなバンドが・こんな音楽が、こうして存在していること自体がなんかの救済というか、拠り所のように感じられたというか。
接触」とか特に歌詞がハマって。受ける痛みと閉ざす感じ、そしてそれだけじゃなく、"それでも"という部分にまで触れられて。「人を愛し人を憎みそして人間となった/残酷なまでに世界とは 誰かとのもんさ」とか、この感覚を言葉に換えられる才能って本当ものすごいなと思いましたね。言語化って本当に才能ですよ。しかも自分の身から言葉を削り出してる。そんな言葉を聴いて、ああでも結局はここで生きていかなきゃ、と思ったりして。

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誰かのことを想うなんて傷つくだけじゃないか?
決して止まない痛みの雨に刺されるんじゃないか?
どうしようもない 僕の中だけでいい
本当にそうか?それでいいか?
なにか間違ってるんじゃないか

人を愛し人を憎みそして人間となった
残酷なまでに世界とは 誰かとのもんさ
決して綺麗じゃない
そのままの自分でいい
何を選ぶか それだけは
僕の中に残したいんだ

フィクションは現実からの逃避でもあると書いたけど、音楽って映画や演劇よりももっとすぐに現実から離れられるんですね、イヤフォンしてちょっと爆音で再生すればそれでいい。つい考え事してしまうタイプなんだけど(そしてわりとそれをTwitterとブログに垂れ流す)、頭の中を占める雑念というか鬱々とした思考が全部どこかへ押し流されていく。チケット買って劇場行って、とか、部屋を暗くして、とかしなくても、いつ何時どんな場所でも、ただ再生するだけでいい。ほら、映像でよくある演出ですけど、街中の音が鳴ってるんだけど主人公がイヤフォン付けた瞬間それがスッとミュートになって、楽曲再生したら音の要素が楽曲だけになるみたいなやつ。まさにそれ。
それでしばらくずっと聴いていて、なんか行けそうなライブないの?ってスケジュール見たら(フッ軽オタク)、10月頭にフェス出るやで〜〜って出てて、自分の休みの予定はまだ決まってないけど一旦とりあえずチケット取って、結局無事に行けました「ぴあフェス」。滑り落ちてから半月程度でもう現場にいる、というこの軽率な勢い。これからも忘れずに生きていきたいと思います。
とはいえソワレに観劇入れてたので通しでは観られなくて結局、朝イチのCreepy Nuts(矛盾かな?)から、打首、サウシー、オーラルだけ観たんですけど、めちゃくちゃ楽しかったし、めちゃくちゃ沁み入った。バンドのライブ自体かなり久しぶりだったし(セブンメンは除く)一人参戦だったけど普通に楽しめたし、やっぱ生のライブって最高だなあ〜っていうのを肌で感じられたし、ブラメモも聴けたし。

生のライブは最高だなあっていうのはここ最近、もちろん音楽のライブに限らず、舞台でも毎度強く感じています。
でもなんか、この状況が一年半続いてきてそろそろ、本音を言えば、そんなこと感じて有り難がる意識もなく能天気に享受できるのが良いんだよ、と思います。今はこういうご時世だから仕方ないけど、一回の価値が上がりすぎているように感じる。価値が上がること自体は悪いことじゃないけど、その分だけそこに足を踏み入れるまでのハードルも上がってしまったような。もちろん、越境の移動だとか感染対策だとかそういう面でもハードル上がっているのは事実なんだけど、それだけじゃなく単なる気の持ちようの面でも、というか。
わたしが言うとなんか矛盾してるようだけど、良質なエンタメが一部の限られた人たちだけのプレミアムな楽しみじゃなくて、もっとライトに広く享受されるようになったら良いのになって思ってます。
もう一生話ズレてる。
生でライブパフォーマンスを観ると、その場で生で観ないと感じられないことが本当にたくさんあるな、とつくづく思います。
音楽ライブには演劇とはまた別のそれがありますね。演目のストーリーとかキャラクターとかを介さないから、そこにいる演者(プレイヤー)はその人そのものだし、わたしも観客というよりは音楽を聴きにきたわたしそのものだな、みたいな感じで、演劇の"居合わせる""覗き見る"という感覚ではなくてただシンプルな当事者というか。
そしてやっぱり「わたしがそこにいる」「わたしがそこで受け取る」ということ自体が重要で、根本なんだと。「ライブ(生)」ってそうですよね、そもそも。わたしがわたしの感覚で受け取る時に、わたしの感覚以外他の何も介さない。
その時その場で感じたことがすべてで、例えば見逃した瞬間があったり聞いてなかった部分があったりして、出力されたものを100%受け取れなくて完全じゃなくても、その場に浮かれて酔って舞い上がって現実以外の幻覚みたいなものが視えてたとしても、それがその時その場で感じた「わたしにとってのライブ」のすべてで、それは客の数だけ何万種類も存在する。同じものはまたとなくて、全員違うものを見ていて、でもそれで良い、それが良いんだな、と。
現実以外の幻覚、ていうのは生で肉眼で見た時にしか視えないんですよね。これ本当で(本当で?)、映像とかじゃ絶対にダメで、わたし今この場にいるんだ、っていう高揚感がもう幻覚を視せる原材料なんですよ。
映像で見ててもしげちゃん(馴れ馴れしくあだ名で呼ぶなよ)はわたしの好きな見た目の男で圧倒的に美しかったけど、生で見たら普通に後光が差してたんですよ。もうはっきりと後光が差してて、舞い踊る髪の毛先の一本まで美しく柔らかく光っていて、黒い床を踏んで躍動する裸足が、もう、化身だなと思った。神の。そんでギャンギャンにギター掻き鳴らすわけですよ。ああもう。
セトリもめちゃくちゃ良かったです。初っ端エンドロールで、そういうの来ると思ってなかったからびっくりした。そんなん来るとか思わんやん!定番キラーチューンでブチ上がれたらいいな〜くらいに思ってたので…… だからさあ〜〜歌詞が沁みちゃうんだってば〜〜って泣きそうになる。泣いてる新規きしょくない?でも涙は出る時は出るもんだし、出る時は出しといたほうがいいんですよ。豊かになれるので。しかもコーラスがまた沁みる。こちとら精神の傷口バキバキに開いてるので沁み渡りまくるんですよ。ずるいよね、ベースでコーラス(しかも上ハモ多め)て。そういう、、何?そのちょっとニッチでカッコいいとこ刺してくるやつ、、こちとら厨二なのでそんなん無条件に好きになっちゃうよね、、、、(?)しかもベース鬼上手いし、、、ぴえん
からの狂乱(ヤッター!!!!!)からのMr.ファントム(ぃえや嘘やんマジでイントロそれはブラメモだったじゃんよヤバ)からの透明な雨宿りでちょっと傷口が死んだ。歌詞はもちろんだけど音が、音の粒がもう皮膚から鼓膜から体内に浸透していくのが分かるんですよ。ボーカルもギターもベースもドラムももう全部が優しくて、柔らかく染み込んできて、弱酸性かな?みたいな(?)。
で、容姿端麗ブラメモRed Criminal。畳みかけられました。容姿端麗はもちろんのこと、それこそさっきも書いたけどブラメモは本当マジで生で一発聴けたときの感慨エグかったです。Red Criminalも「誰だって怖いのは 自分にしか分からないでしょ」とかもうそれを言語化されて言葉で言われちゃうといやもうゥウワーッて精神の傷口から血がドロドロ出てくるしかないんですよ。なんかこう、抱き締めやしないけどそばに居る、みたいな。同じ体温のある人間が。そんなような癒しを感じる。何言ってるかそろそろ分からんけど。
やっぱしバンドのフロントマンてマジで存在がデカいよな〜と感じるのは、その人の言葉でその人の感性で、その人の歌声でその人の存在で、その人のみならずそのバンドの音楽やメッセージの根幹が形作られてるから、だと思うんですね。単に看板としてバンドを背負っているというより、フロントマン自体がバンドの概念でもあるというか。
ちなみにわたし嶺亜さんのことを7 MEN 侍のフロントマンだと思ってるんですけど、曲は作らないにしても観念的な、精神の部分で、彼を中心に集まり成り立ってきて、良い意味で彼が「絶対」みたいな、そんなフシがあると思うんですね、セブンメンには。はいすぐ脱線する。
なんかこう、身を削って切り出された言葉には一抹の恐ろしさというかなんというか、ちょっとひやっとする手触りがあって、でもだからこその美味しさみたいなのもあるんだと思うし、何より身を削って切り出された言葉だからこそ、確かな意味と真摯さを伴ってこちらの身にしっかりと突き刺さるんだと思うし。
で、そんなバンドを後ろから見てるドラムを見るとエーンてなる(語彙)。好……………。
なんていうか、オーラルのギターってボーカルとはまた別のフレーズを唄っているような感じがして、あと踊るような(実際踊ってる時もあるな?)ベースと、しなやかに猛るボーカルとがいて、でドラムはめちゃくちゃ磐石なんだけどテクニックと手数がサラッとエグくて、でそれらすべてがバチッと噛み合って一つになってるのがすごい好きなんですよ。これもう、綺麗にまとまってるとかそういう次元じゃなくて。なめらかな球体じゃない、バラバラの凹凸がある自由な形の個々を合わせていて、だけどその凹凸があるからこそガッツリと噛み合わさるというか。なんでしょうね。めちゃくちゃ不思議なバランスだし、何よりそんなものを創る才能ってすごいなって心底思います。


沼落ちブログ書こ〜つってこんな、沼落ちというより沼の底から掬ってきた汚泥みたいな思想のブログになってしまってなんかこんなつもりじゃなかったんですが………ドウシテ……

楽曲、ちょっとしか挙げられなかったけどあとは「WARWARWAR」「Naked」「Everything」「Shine Holder」とか特に好きです。好きなやつのプレイリスト作った。

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色々聴きたいし、ライブ好きだし、ただ鬱々と消化的に生きててもしゃーなくてフットワーク軽く生きていきたいので、またライブとかホルツ行きたいな〜とか目論んでます。ていうか早くFC入りなさい(はい)。

 

昨日デジタルリリースされた新曲「MACHINEGUN」めっちゃ最高なのでみんな聴いてください。

youtu.be

個人的に2A手前と2Aのギターベースドラム全員のクセ強感と(これ鳴っててよく歌えるな??)、ラスサビ入るところであんまり隙間ないのにちょっと多めに詰め込んでるドラムが好きです。

 

いつも思うけど、このクソ長文ブログで毎度ここまでほとんど読み飛ばすことなく心折れることなく辿り着いてる人いたら本当すごいなと思いますよ。忍耐力がある。