彼の話

141文字以上書きたいときに書きます

好きなアイドルはエンドロールまで観たい話

こんにちは。いつもの長文はてブロです。

 

「アイドルとファン」の関係性っていくつかの階層があって、いちばん外側からいくと文字通りの客観的なレベルでの「エンターテイナーと観客」があり、そこからひとつ主観的な範疇に踏み込んだ「アイドルの◯◯くんとファンの私」で、そして「◯◯くんと私」(一口に言うとリア恋的な、たぶん)がある、と思っている。ざっくりすぎるけど、ざっくり3つに分けると、そんな感じだと思っている。

私はリア恋的な階層にいないので詳しく書けるアレもなく、そちらはそちらの方にお任せするとして、この記事は、私がとてもかなり捻くれた趣味の持ち主で、それの捻くれた感性でもって普段こんなふうにアイドルを好きで見ているのだ、というのをダラダラと書くだけの記事です。

この捻くれの度合いがどれほどか、自分では相対的に分かっていないので、どれだけ前置きをしておけば適当なのかもよく分からないんですけど……ひとつ言えるのは、理解してもらおうというつもりは無いし、もし理解できそうもないなら読まずに引き返してもらったほうがお互いのためです、ということだろうか。じゃあ書くなよみたいな。いや書きますけどね……書きたいので……書いて整理したいこともあるでしょ。

冗長クソ無意味ブログなので、暇すぎて活字を読まないと死ぬ人だけ読んでくれたらそれでいいやつです。結構な倫欠と他人事感のすごいブログになったので……読んでアレでも責任は取りませんので……みたいな。

以下、思想強めでお送りいたします。

 

さて、前提として、私のエンタメの自覚的な入り口って歌って踊るジャニーズではなくて(お茶の間的にジャニーズのアイドルは好きだったけど)、映画だったんです。
映画館に行って、お小遣いからするとちょっと高い金額を払って、暗い劇場の椅子にひとりで座って、映画の始まりから終わりまで没頭する。

普段、泣くのってダサいと思ってたけど、ひとりで映画を観ている時ならいくら泣いたっていいし、泣いている私がいても誰も気にしないんだ、と思った。映画館の中=フィクションを観ている間は、現実世界から離れることができることに気づいて、そして"フィクションを観て"感動する、という感覚を自覚的に得た最初の体験で、それがたぶん中1の頃だと思います。

元から小説は読むタイプだったのでその映画化とか、ドラマ化だとかを意識的に観るようになって、"好きな俳優"という存在ができて、彼の出演歴から舞台も知って、テニミュに出ていたので某動画サイトで過去の映像を見たり(ほんとは良くないやつです)、単館系の映画も観たり、バイトを始めてから自力で舞台を観に行くようになって。親も芝居好きなので(どちらかというと歌舞伎とか寄りだけど)元からそう遠い世界でもなく、映画と舞台とを頻繁に観ながら、大学では映画の制作をやって、卒業後はポスプロのほうに一旦行ったけど辞めて、今は主に演劇系の仕事をしてます。という感じです。知ってる人に読まれたら秒で身バレしそう。怖。

ジャニーズの現場まで行くようになったのは本当に昨日くらいの最近の話なんですが(盛るな)、現場はストレートプレイ、ミュージカル、朗読劇、ダンス、2.5系、コンサート、ライブ、握手会、バーイベ、握手会etc、キャパ2桁の小屋から2000台の大劇場まで、わりとどこでも行くタイプのオタクです。

前置きが長くなった。
そんな感じで、根はジャニオタではなく舞台系のオタクなんですが、最近薄々、これちょっとジャニオタとして捻くれすぎているのでは、と気づいてきたことがあって。それは、

"観客役"を担っているという意識と、好きなアイドルの終わりを観たいという欲求です。とくに二つ目は、ほとんどの人に同意されないだろうなと思っています。し、ちょうど今TOKIOが会社になったりこれからV6が解散を迎えたりとかあるけど、その辺り含め、全くもって、これまでの色々なアイドルやグループに関する具体的な言及ではないことはご承知おきください。マジで。もっと言えば、私が今好きでいるSixTONESとか7 MEN 侍とかにいつかこうなってほしいという話でもないです。あくまで私の欲求だけの話です。

 

"観客役"を担っているという意識

冒頭で書いた「アイドルとファン」の関係性の階層について、これは大前提、"アイドル"というものの人それぞれの楽しみ方の違いなので、どの見方が正しいとか優れているとか本質を得ているとかどうあるべきとか、そういう上下の話ではないです。
私、You&Iの歌詞の中で、特に好きで、この感情こそが私にとっての「アイドルとファン(の私)」だなと思う一節があるんですけど。

Oh 会えない時間の分だけ You, With you
Oh baby now, Oh 今日が特別になる You, With you

いやもう、完璧に最高にアイドルじゃん!と思って。
このYou&Iという曲は、タイトル通りに「君と僕」のことばかりを歌っていて、ただ具体的に何がどうとは言わないから、解釈の仕方によっては恋人に向けてのラブソングでもあるとも思うんだけど(曲の解釈にも正誤はないと思いますが)、私の解釈では「君(ファン)と僕(SixTONES)」の歌だというように思えるんです。
「会えない時間の分だけ今日が特別になる」って、まさしくライブに来れた時の、ライブ会場にいる時の感情じゃん。(とか言って速攻セトリ落ちしたんですけど……解せぬ……) ライブの日って特別じゃないですか。たぶんどれだけ通っても特別は変わらず特別だと思うんです。何故って私の日常にSixTONESはいないから。会えるのはライブでだけで、その非日常を心待ちにするからライブに行きたいと思う。それがギュッと1フレーズに詰まっていて、すごくアイドルらしい歌、アイドルらしい歌詞だなと思った。

で、これを"アイドルらしい"と思うところに、私のアイドル観が見えるんだなと。

「アイドルとファン」の3つに分けた階層の、私は真ん中にいるんだと思います。

全然客観的ではないし、かなり私情と思い込みゴリゴリだし、普通に好きだし。ただ、リアルに関係持ちたいとか付き合いたいだとかっていうとまったく無理(向こうからも断然無理だろうよというツッコミはさておき)。あくまでも、アイドルである彼らのパフォーマンスを、そのステージ上にいる姿を、ファンとしてたくさん見たい、というところにいる。

そして、客席にいる自分自身を、"観客役"を担っている存在だと思っている。

これもわりと最近気づいたんですけど、私ペンライトの振りが結構デカくて、SixTONESのライブだと馴染むんですけど(みんな平均的にデカいし、ここぞのパートとか殴打レベルじゃん)、これ、ライブは踊りたいタイプなのもあるけど、自分は"観客"なんだと意識してるからしっかり振るんだな、と気づいて。

私が最初に意識的にペンライトを振ったのが、これもジャニーズではなくて、今は亡き(そういうこと言うのやめなさい)「少年ハリウッド」という……2011年上演の、アイドルものの舞台作品で。”少年ハリウッド”という架空のアイドルグループを、前半はグループ結成から最初のライブに至るまでの物語を芝居で描き、後半は丸ごとそのライブ、という構成の舞台なのですが、これがアイドルものとして非っっっっっっっっ常に良く出来ていて。アイドルグループのキャラクターの設定、メンカラの割り振り、メロディや歌詞のキャッチーさとか、ちょっとダサい感じとかちょっと意味わからん感じとか。そもそもグループ名からして、みたいな。なにわ男子の類いじゃない?(怒られる)

ちょっと……アンオフィシャルな動画で申し訳ないですが。今からでも遅くないので見てほしい(さすがにそれはもう遅いのよ)。

youtu.be

マジで最強最高。

ちなみにこれがデビュー曲(概念)で、背中を押すような応援ソングもあれば、法被着てコールできる和風のお祭りソングもあるし、爽やかな曲もバラードもあるし、恋愛系のユニット曲もある。至れり尽くせり。

この舞台の後半のライブパートが、観客にうちわを持たせてペンラを振らせるようになっていて、ライブパートまでの衣装替えの繋ぎにはマネージャー(役の演者)が袖からちらっと出てきて、サビの手振りのレクチャーとか、うちわやペンラを振るときの注意点とかを教えてくれるんです(いまだに思い出す「テンション上げて、うちわは下げて!」とかいう名台詞)。そして我々も、推しのメンカラのペンラ構えて、役名のファンサうちわ作って持っていって、勝手に(勝手に?)コールの声出ししたりして、舞台上の”アイドル役の彼ら”に対して、”アイドルのライブに来たファンの役”に全力で乗っかって楽しんでたんですよ。

これがアイドルのライブに”参戦する”ことの原体験だったので……あとはドリライ(※テニミュのライブ)で自軍(学校)のカラーギャングになり自軍(学校です)のペンラをガン振りするとか……そういう畑の生まれなので……とにかく、好きであればあるほど、"盛り上がっている観客役"をやるつもりになってしまうんですね。

べつに「盛り上がっている私を見てくれ」「盛り上がっているからレスをくれ」とかいうことでもなく、見てほしいとすれば自軍のパフォーマンスが盛り上げている"客席"が誰かに認識されてくれればそれでいいし、自軍のパフォーマンスには盛り上がっている客席が必要不可欠、みたいな、そんなふうに思っています。客席も"ライブ"という作品の一部だ、というように。

で、その辺りまでならまだ、一種の楽しみ方として健全だなと思うんですね。

あれ?私、アイドルのこと、コンテンツとして見てない?と。 

いや見てるわ。めっちゃ見てる。自覚できていたほうがマシなのか、自覚してもなおファンをやめないほうがタチが悪いのか、まったく分からないけど、とにかく、アイドルという生身の人間のことを、コンテンツとして見ている。バッキバキに、一個の物語、一個の作品として見てる。

でも、自己弁護するつもりじゃないけど(と言っているということはつまりは多かれ少なかれそのつもりだけど)、アイドルって、"ストーリー性"も重要だと思うんです。どんな気持ちでアイドルになりたくて、どんな気持ちを抱いてこの曲を歌っているか。どういう経緯を経てこのステージに立っているか。どんな想いで、今あなたの目の前に存在しているか——そういう叙情的な装飾があればあるほど、ファンがアイドルに懸ける思いも強くなるものなんじゃないかと。

アイドルとは、ホログラムとか3DCGのようなものだなあと思っている。

◯◯くん、というアイドルを、その生身である◯◯くん本人と、彼が何をするかを共に考えて決める周りの色々なスタッフ、楽曲を作る人、格好いい演出や振りを付ける人、バラエティやドラマや映画や舞台で美味しく調理する人、彼の言葉を代わりに文章にして拡散する雑誌や新聞の人、そういう、数えきれないほどの人の手、時に本人すらあずかり知らぬような人の手まで加わって、◯◯くん、というイメージが形成されていく。

私がリア恋にはならないのって、その生身である◯◯くんに対してのリア恋はあるかもしれないけど、”アイドルの◯◯くん”は実在しないと思っているから……かもしれないなと思う。

よく、アイドル好きっていうのに対して「本当に彼と付き合えるとか思ってるの?」なんて無粋な返しがあるけど、むしろ「いつか彼が振り向いてくれるかも」的な思い込みのほうがまだ健全かもしれないよね……「彼は本当は実在しないので」とかいう思い込みよりも……

 

好きなアイドルの終わりを観たいという欲求 

それでここに繋がるのですが。

アイドルグループ、アイドルの彼、を一個の物語、一個の作品としている私は、起承転結の"結"まで観たいと思っている。たくさんの人が関わって私の愛するホログラムが形作られているのだから、物語が幕を閉じた後のエンドロールが流れ終えるまで、しっかり観ていたいと思う。

そしてエンドロールが終わり、客電が点き、明るくなってしまった劇場を後にして、あんなにも夢中になってどっぷりと浸かった世界が良い夢であったことを、現実世界の帰途を歩きながら、何度も思い返したいのだ。

 

誤解をされたくはないのだけど、決して、好きなアイドルに対して今終わってほしいと思っているわけではない。

まだ走り出したばかりだ。これからますます、どんなことでも出来ると思う。こんな歌をリリースしてほしい、あんな役をやってほしい、飽きるほどライブに行きたい、あそこでライブしてほしい、三十代になった彼にあんな仕事が来たらいい、四十代になった彼にはどんな仕事が来るだろう、彼らならどこまで行けるだろう、彼が、彼らが、行きたいと望む最大限の遠くまで高くまで、行ってほしい。

そういう、やれるすべてをやり遂げた上で、いつかの昔に始めた物語の書かれた本を、そっと閉じてほしいと思っている。

「いつまでも続いたのでした」という終わりは、物語にはある。けれど彼らは、物語を織りなしながら、そして彼ら自身すら物語であるかのように見えていても、やはり生身の人間だから、 「いつかの終わり」をきっと綺麗な形で見せてほしいのだ。

鳴り止んだ音楽には残響があって、幕の下りた芝居には余韻がある。そして残響も余韻も、"そこに何かが存在して、終えられた"あとにしか得られない。記録もできず、そのうち薄れて消えていってしまうものだけど、その最後の最後まで、味わい尽くしたいのだ。

 

 

 

ポエム〜〜〜〜〜〜〜〜

大丈夫そ?

ダメかもしれん。

最近こんなご時世だからか折に触れて思うんですけど、マジでフィクションが好きなんですよね。現実逃避なのかなあ。いや現実逃避だろうな。現実逃避と書いてフィクションと読むまである。ルビ。

ものすごくざっくり、好きなアイドルの終わりまで観たい、というとドン引かれるよなと思って事細かに書いたけど、そんなネタで5000字以上書いてるのも逆にドン引きかもしれない。

でもなんか、これもうアイドルに限らずすべての物事全般そうだと思うんだけど、終わることを考えると嫌だから寂しいから考えないようにする、ではなくて、すべてのものはいつか終わるんだから、いつか終わることを頭の片隅に留めておきながら今あるものを今出来る限り享受しよう、という考え方なのかもしれないなあ。メメント・モリというかカルペ・ディエムというか。

マジで思想の話になってしまったので過去イチでダメかもしれないです。ここまで読んだ人ごめんね。