彼の話

141文字以上書きたいときに書きます

アイドルはアイドルのプロで、ファンはファンでしかないな、というだけの話

 

賛否両論、というけれど。

ファンからタレント本人へ伝える「否」の意見に、はたしてメリットはあるのか、ということを、長年何かしらのファンでいながら度々考えます。

 

需要のない情報だけど私のオタク遍歴を説明すると、ここ2年ほどはほとんどジャニーズばかりを追っているのですが、その前は6〜7年くらい小劇場のとある役者を追っかけたり、いろいろな舞台を観たり、突発的に戦隊にハマった怒濤の1年半があったり、3年くらいテニミュに通ったり、などしてきました。節操がない。

いちばん濃く深くオタクしてたのは小劇場の役者のファンだった時。東京公演は通えるだけ通い、土日はマチソワ通して狭い座席で腰と尻を痛めつけ、地方公演があれば土日は行き。作品のイメージや色味を寄せたスタンド花を贈って、終演後は毎回ロビーで待って話して、舞台の感想のファンレターは2日おきぐらいで便箋3〜4枚、千秋楽には総まとめ的に7〜8枚書いて手渡して、みたいなことをずっとやってました。

 

そもそも私自身が干渉されることを嫌う性格だというのが前提なんですが(自分は好き好きやかましい強火オタクをしておいてお前は何を言っているのか感)

ファンからタレント本人に伝える「否」って意味あんの?って、度々思うんです。

「ファンなら全肯定しろ」「盲目でいろ」ということではないです。ファンがタレント本人に「否」を伝えたところで大抵は意味が無いと、私個人的には思うんです、という話です。(※もしかしたら意味ある場合もあるかも知らんけど、というくらいの限定的じゃない感じで読んでください。何事も一概には言えないので。

 

前置きが長い。

こうやって長ったらしいブログを書き始める発端は、まあ発端に過ぎなくて、そもそも全般的に思っていることではあるのであんまりそればかりに限定した話と捉えないでいただきたいんですが……

8月に行われたSummer Paradise 2020(以下略)というジャニーズJr.の配信ライブ、私はそのうちの7 MEN 侍の公演:通称サムパラを、社会性を犠牲にするほど楽しんだのですが。バンドスタイルのグループ、という今の東京Jr.には彼らの他にいない特色を前面に押し出して活かした、バンド演奏パートの比重の大きい構成のライブでした。

サムパラまでは、Jr.のYouTubeチャンネルをSixTONESから引き継いだ流れでなんとなく気にして見ていた程度で、だからサムパラの配信も買っていたのですが、7 MEN 侍のゴリッゴリのバンドがもうほんとまじで良すぎて。バンドが手段でアイドルがアイデンティティである7 MEN 侍がとにかく本当に心底最高すぎて、8月11日からずっと気が狂っているんです。

そんな個人的には超弩級にバチクソ最高だったライブに関して、とあるインタビューでタレント本人から「正直言うと賛否両論」「予想より厳しめの意見が多かった」「バンドを褒めてくださった方が少なかった印象」というシビアな言葉が出てきて。

「エ????!????????!??!?!??!!?」て声出た。職場のデスクで。

強く感じたこととしてはまず、

・「好き!最高!」と思ったのにそれをきちんと発信できていなかったという反省

それから

・マイナス意見を本人に伝わる形で発信するファンが多い?という気付き

がありました。

 

SNS上の感想とかは私はほとんど検索しないので、フツ〜〜〜に絶賛されてるものだと思ってました。私と友人が8月のすべてを捧げたほどドンピシャでハマって大はしゃぎしてるだけのタイムラインだったので……(狭)

どういう形で本人たちの元に意見が届いたのかは知らないですが、まあ手紙なのかSNS上のメッセージなのかエゴサしたのか、その他諸々、伝える/伝わる方法は色々あるでしょうが。

今回の、サムパラのバンド比重大きめの構成があまねく受け入れられていないことについては、言われてみればなるほど確かに、と思います。

自分の好みがジャニオタとしてはわりと邪道である(※好きな男をdisっているわけではないです断じて)自覚はあるので、私にドンピシャ来るということは王道のファンにはドンピシャ来てないんだろうなという想像はできます、悲しいことに。

バンド7:ダンス3、ではあまりウケない……という事実は、個人的には悲しいですがまあそうだろうなとも思います。これがめちゃくちゃウケたら私は最高に楽しいんだけどなあ、とは思っていますが。

 

それより何より強く心に来たのが、賛否の「賛」はここにいっぱいあるのに(とはいえ一人分ですが)それを本人たちのところまで届けられていなかった……という反省。

持論ですが、ネガティブなもののほうがポジティブなものよりも鋭く深く刺さりやすいものだと思うんです。何度も褒められていても一回怒られた印象のほうが強く残る……成功したことはあっても失敗した時の痛みをはっきり覚えている……とか。

なので、私は昔から、好きな人にはポジティブなことしか言わないファンです。

前述の6〜7年追いかけた役者にも、毎度毎度クソ長い手紙で感想を送っていましたが、書いたのは「これがかっこいい」「あれが凄かった」「ここがかわいくて大好き」「あのシーンが印象深い」とかいうことばかりです。手紙は、好き!最高!と思った気持ちと、応援していることを伝えるための手段でした。

嫌いなところとか、いやそれってどうよ?と思ってしまう部分も当然色々ありました。でもそれを手紙に書いたことはなかったし、本人に直接なんて言わないし、エゴサされる可能性のあるアカウントでは呟きませんでした。

もちろん、嫌いなものを嘘で好きだと言うこともしない。要するに、気に食わなかった部分に関しては一切言及しませんでした。

それによって彼自身がどう感じていたかは知りません。言われないので何かを思ってすらいなかったかもしれないし、ちょっとは察していたかもしれません。(好みじゃない演出家の作品はチケットをまったく取らなかったり、ノリが好きじゃなかったので誕生日イベントだけ毎年行かなかったりしてたので……大人げないとは思いつつ……)

そんな感じでオタクをしていたのですが色々あって降りて、ジャニーズを追うようになってから、手紙を1枚も書いてないんです。SNSでも、エゴサに引っかかるかどうか微妙な感じで呟いている。伝えたい、という気持ちが全然なかったんです。

理由は明確です。大前提、ファンの数が違うから。

小劇場ってそもそもキャパがデカくて300程度なので、現場にいる人数が少なくて、ファンの顔触れも大抵変わらないので、他の役者のファンでもいつもいる人のことはすぐ覚えられるくらいです。同厨のことは顔とtwitterのアカウントとどの作品で増えたファンかは把握してました、誰とも関わらなかったですが(……)

そんな感じの小さな村から出てきて、数字の桁が4つ5つ違うようなリアクションの数を目にして、つまりそれ以上に数えきれないほど膨大のファンの存在を感じて、これ私っていてもいなくても誤差の範囲だな、同じだな、と思ったんです。(余談ですが、クソ狭いド田舎みたいな小劇場オタク界隈の雰囲気に疲れていた節もあって、自分が個として認識されない5桁キャパの会場はとにかく居心地よく感じます。もう認知もレスもファンサもいらない……)

 

でも今回は、そう思っていたことを反省しました。 

好みは当然人それぞれで、好き嫌いと善し悪しはまったくの別物だけど、私が最高に好きだと思ったことは揺るぎない事実です。評価ではなく、感覚で。

私は最高に好きだと思っていたけど、本人たちにとっては「否が多く、賛が少ない」と感じられる状態だったようです。実際のところ、何件の感想が彼らのもとに届いてその何%が賞賛で何%が批判だったのかは知りませんし、分かりっこないことだと思います。もしかしたら、たくさんの賞賛も届いているけど一部の批判を重く受け止めているのかもしれないし、実際に批判的な意見ばかりだったのかもしれないし。

ファンが一人だろうが何百万人だろうが——つまり、本人たちに届く可能性が高かろうが低かろうが、「好き!最高!」と思ったら怠らずにきちんと発信しよう、と痛感しました。

 

そして、ファンがタレント本人に「否」を伝えることにはたしてどんなメリットがあるのだろうか、とも、また改めて思ったんです。重ねるようですが、「否」と思うことを悪としたいわけではないです。

インタビューでは、予想以上の賛否両論があったことは話の前提で、そこからグループとして売り出していくことに関してのタレント本人や事務所の考えや戦略の話になり、今後の展望や目標、そのための取り組みについて具体的に、いやこれよくカットされなかったな……と思うほどかなり露骨に、腹を割って話してくれて、原稿化されていたので、とても貴重なインタビューだったと思いました。(別作品の取材に付随するコラム的な位置づけだと思うので、あまりこの件ばかりフィーチャーするのも如何なものかと思いますが)(今更)

モノやコトを売る仕事と違って、芸能は人間が商品で、事務所だけでなくタレント本人も、売り手側の一人なんだと思うんです。

彼らに関して言えば、バンド活動を前面に出すのはほかのグループとの差別化を図る戦略のひとつ——これは事務所と本人たちの意見が合致して、一丸となって向かっている部分であるように見えます。

個人的には、そのスタイルが強くヒットして惹かれた層なので、その方向で進んでいって結果的に跳ねてくれたらすごく嬉しいなと思います。単純に、ライブパフォーマンス・生演奏が好きという趣味もありますし、東京Jr.という同じ畑の中で食い合う相手が今現在いないというのはかなり有利で、自由度高くやれるだろうなとも思うので。(というか、デビュー組でも現役でバンドで活動できてるのが関ジャニ∞だけになってしまった……)(TOKIOの音楽が大好きです)(つらい)

なのでなおさら引っかかってしまったんだと思うんですが、大前提、事務所と本人たちが方向性を揃えられている部分にファンが異を唱えるメリットって何?と思ったんですね。

本人たちはアイドルという商品自身であり、それ以前に自分自身で。仕事としてもプライベートにしても、「彼」について最も親身に考えている人物のひとりである、と思います。しかも彼らって5年、10年、ずっとアイドルに取り組んでいるプロです。個人的には、Jr.であってもプロフェッショナルはプロフェッショナルだと感じます、むしろ経験年数の長さは関係ないとも思います。事務所は事務所で、マネジメントのプロで、そのためにある企業で。

自分自身の生活や人生までもかけた職業としてそれらに取り組む人たちが何人も集まって、真剣に考えて生み出されるものが、アイドルという偶像であり、グループという目には見えない結びつきの概念だと、私は思います。

なので、そんな彼らに対して、ただの素人で、嫌な言い方をしてしまえば部外者でしかないファンが、口を出すことで生まれるメリット、はたして何がありますか?と思うんです。

もし本当に売り方がどうしようもなくて、商品としても魅力がなければ、ものすごく残念なことだけど自然と淘汰されていくだけでしょう。もしファンにしか出来ないことがあるとすればそれは、商品を購入して、いかに良いものであるかを声高に主張して、価値を高めていくことなんじゃないかと思うのです。

 

 

と、あれこれ色々長ったらしく(本当に)書いていますが、意味はないと分かっていながらネガティブな意見を吐き出すことへの批判ではないのです。

個人的には(ってこの記事で何回打ってるんだろう)コンテンツに対する自分の気持ちが、ポジティブをネガティブが上回った時には、黙って離れることをいつも選択しています。「not for me」っていうじゃないですか。「私向きじゃない」。世の中にあるコンテンツが自分には合わなかった時、「つまらない」「価値がない」とコンテンツのほうを悪とするのではなく、自分とコンテンツの相性が悪かったのだとする。

だから、相性が悪いのだと分かっていてそれでも吐き出すネガティブな意見って、自分の中での折り合いをつける手段だったりストレスの発散だったりで、致し方ないものなのかなと思うんです。

そうじゃなくて、自分の意見がコンテンツの為になる、コンテンツを変えられる可能性があると思って発信されるネガティブな意見、って、私は胸くそ悪いのでちょっと目にもしたくないです。すべてのコンテンツが自分のために用意されてるなんて思い込み、傲慢だなあと思います。オーダーメイドじゃないんですよ、と。

 

そして(まだ書くんかい)なんというか今までの主張を全部ひっくり返すようにもとれるかもしれないんですけど、賛否両論のない状態って、実はすごく危険だなとも思うんです。いやほんとにひっくり返してるな。まあ、ほんとのほんとに最終的な結論としては、私自身に「他者に干渉しようという意識を持つな」と言い聞かせることかもしれないんですけど(暴論)。

 

「"楽しかった"という感想を100%にしないといけないと僕は思う」「1%でも"楽しくなかった"というものは作りたくない」という言葉、完璧主義というか、完全を追い求める姿勢は孤高で、澄んでいて、美しいと思いました。彼のドラムは、最後の公演の最後の最後までブレなくて。ほかの楽器が自由に飛びまわれば飛びまわるほど、へたらず正確にリズムを刻み続け、強靭な土台を作り続けるドラムへの信頼感が高まりました。

100%になるのが"楽しかった"なら、全然危険ではないと思うんです。でも、芸術や言葉や音楽で大勢の人々の気持ちを100%揃えられたら——と思うと、ちょっとゾッとしません? でもまあそもそも、ファンって「fanatic=熱狂的、狂信者」だから、そしてアイドルって「idol=神像、偶像」だから、あながち間違っていないのかもしれないですね。

 

たぶん話の着地点ぜったいここじゃないんだよなあ。

とりあえず、今週末は「好き!最高!」の手紙を書こうと思います。